ESP科学研究所所属米子中央指導所
有限会社イー・エス・ピー米子
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◆大正7年、佐賀県に生まれる。台湾、満州での外地体験を経て、昭和22年より、大阪でサラリーマン生活を送る。
◆昭和50年2月1日 突然、異次元パワー発生。天啓によって
十八年間勤務した会社を退職する。同年、郷里、佐賀で人
身開発センター開設。
◆昭和53年2月大阪へ移転。
◆昭和56年に、台東区上野でESP科学研究所を設立。
◆平成2年7月 日本武道館にて最後の超念力第三弾出版記念として、1万有余人を集めた「超念力大公開」開催。
◆平成4年11月 神戸ポートアイランド ワールド記念ホールにて「心の医学大公開」と称し六千人を超える大講演会開催。
◆平成5年1月24日 ご逝去。
ESP科学研究所創始者であり〝心のパワー〟で数十万の方々の悩みを救った石井普雄氏は、大正七(1918)年七月二十九日に佐賀県神崎郡(現神埼市)で生まれた。広大な吉野ケ里遺跡を擁し、古代の息吹を現代に脈々と伝える土地である。
石井普雄氏の少年時代は、軍靴の響きが次第に高まる暗い世相とは裏腹に、活発で好奇心旺盛なものだった。
しかし氏の前半生は、当時の世相と相まって波風に富んだものでもあった。世界恐慌の嵐が吹く中、成績優秀であったにも関わらず進学を諦め、十歳離れた姉の洋品店の手伝いを始めた。石井普雄氏の母代わりとなり、影になり日向となって愛情を注いだこの姉は、氏の生涯にわたって明るく温かい光を投げかけ続けた存在だった。石井普雄氏が“ま心〟と言う時、常に優しく温かかったこの姉の姿が心の奥に去来していたのかもしれない。
しかし間もなく満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争へと続く本格的な軍国主義時代がやってくる。不況と物資統制のために誰もがあえぐ思いをした時代だ。石井普雄氏の姉の洋品店もその例に漏れなかった。氏は姉の洋品店を助けるために、そして自分が生き残るために考えつく限りのあらゆる手段を尽くした。その時のことを氏はこう述懐する。
「わたしが悩むことを嫌ったのと、家の貧しさは無関係ではない。思いついたことをすぐ行動に移さないと、飢えてしまうのである」(『最後の超念力・第一弾』より)
逆に言えば、思いついたことをすぐ行動に移していれば、どんな世の中でも身ひとつで自信を持って乗り切っていける。〝発想即行動〟、そして〝難事は良事〟の考えは、青年時代の石井普雄氏がどこから見聞きしたのでもなく、自分の体に直接聞いて生まれた〝生命の発想〟だと言えるだろう。
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石井普雄氏の〝発想即行動〟の威力が遺憾なく発揮されたエピソードがある。それは、七重夫人との結婚のいきさつである。
氏は姉の家を手伝いに来た義兄の姉である七重夫人と出会い「灰色だった家の中が一気に明るくなった」ような思いを抱いた。しかし氏は新天地を求めて満州(現中国東北部)開拓団に参加し、離ればなれとなって恋は思うように進展しなかった。しかし満州開拓団の団長として活躍していた氏は、七重夫人に結婚話が進んでいることを知って直ちに満州から佐賀にとって返し、七重夫人にプロポーズしたのである。その時の七重夫人がどれほど驚いたことか——。石井普雄氏が自ら言ったことを自分自身で行った有言実行のエピソードだった。
その後、夫妻で終戦を満州で迎え、戦争の悲惨さを目の当たりにしながら再び郷里へと戻った。
すでに身に着けていた〝発想即行動〟〝成るように成る〟の方法論と、持って生まれた鋭い洞察力で戦後の社会をたくましく生き抜いていた石井普雄氏が「世の苦しみ、悩む人々を助けよ」という天啓を受けたのは、昭和五十年二月一日、五十七歳の時のことであった。
以来、触知できるようになった幸福のパワー〝超念力〟を駆ってESPが創設された。誰もが持つ〝心〟の問題にかつてない、そして決定的な光を与えるESP、すなわち石井普雄氏の活動は次第に人々の反響を呼び、テレビ出演を経て爆発的な人気を博するようになった。
石井普雄氏の著書『最後の超念力』第一弾~第三弾はいずれも社会現象とも言える大ベストセラーとなり、指導会は北海道宗谷から沖縄県石垣島まで全国でひんぱんに行われた。石井普雄氏は昭和六十二年の雑誌で「今年の顔百人」の一人に選ばれるなど、押しも押されもしない〝心の時代〟のリーダーとなっていった。
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よく混同されがちなのだが、ESPは宗教とははっきり一線を画している。
「この力は私の力ではありません。皆さんに来た力なのです」と氏はその著書や、超念力を実際に体験できるESP指導会の中で繰り返し述べている。
誰にでも、何の修行もなしにすぐに活用できるESPのパワーは物理法則と同じ宇宙の普遍的な力である。ESPとは大自然の力を誰もが幸福のために使えるようにと与えられた、心を媒介とする新しい科学の在り方だとも言えるのである。
この力を活用するたったひとつの条件は、〝他人の幸福を自分の幸福とする〟という、石井普雄氏が呼ぶところの〝ま心〟を持つことである。すべての人が幸せになるようにと願う〝ま心〟ひとつで、無限の宇宙の幸せのパワーを自由自在に操ることができるのだ。石井普雄氏が説く〝幸せの仕組み〟とは、人間が本来の美しい心を取り戻し、平和のうちに思う通りの人生を歩むことを、はっきり約束する仕組みなのだ。
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石井普雄氏とESPの発展はその後も続く。ESP指導会は海外にも舞台を広げた。大韓民国・ソウルでの指導会(韓国初の日本人による単独公演)を皮切りに、アメリカのロサンゼルスとハワイ、インドネシア、香港、シンガポール、オーストラリアなど、世界中のどこでも〝優しさはま心〟というESPの理念は大きな関心を持って受け入れられた。
ESPの理念は、究極的には世界平和の発想へと繋がる。身体健康や事業発展は、この最終目標のための、一つのステップに過ぎないのである。世界への波及は、ESPの理念が持つこの普遍性の証明でもあったのである。
石井普雄氏最大の指導会である「超念力指導者 石井普雄『超念力』大公開」(平成二年日本武道館、観客一万人以上)や「心の医学大公開」(平成四年神戸ポートアイランド、観客六千人以上)などの大イベントも次々に行われた。石井普雄氏は自らが標榜する〝心の時代〟の扉を、自らのま心で人々に向かって押し開いたのである。
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平成五年一月二十四日、不世出の「ま心の父」石井普雄氏は多くの人々に惜しまれながらこの世を去った。現在は氏の長女である石井美津子・ESP科学研究所所長が氏の事績を継承し、ますます活発な活動を続けている。
「皆様の喜びは私の喜びであり、皆さまの苦しみは私の苦しみであります」
石井普雄氏が残した数々の不朽の名言は、今も鮮明な感銘をもって聴きかつ読まれ、多くの方々の心に希望の灯を灯し続けている。石井普雄氏が灯したま心の灯が、さらなる未知の変化を待ち受けるこの時代に生きる全ての人々の目に、日に日に輝きを増して映ることにすでに疑いの余地はない。
◆1948年大阪生まれ。1993年、父の逝去に伴い会員数6万人を誇るESP科学研究所の所長を引き継ぐ。
所長就任前は一主婦であったことから、引き継いだ仕事の大きさに心を悩ます日々を送った。現在は、父の出身地でもある佐賀県を拠点にし、全国各地はもとより、韓国、シンガポール、ブラジルなど世界各地での講演活動も精力的に行っている。
「心の在り方」を第一に考え、日々心身に悩みを持つ人たちに、自身の経験や父より引き継いだ教えを説く活動を行っている。
著書に『星のひよこ』『心の架橋』(善文社)『気持ちをラクにする38の思考法』(幻冬舎)がある。
(心の架橋・第二章原点より)
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