ESP科学研究所所属米子中央指導所
有限会社イー・エス・ピー米子
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本ページの「事例紹介」は、ESPセミナー等のESP普及活動の現場やESPを活用した普通の生活の中で、実際にあった体験や報告をもとに偽りのない真実として事例紹介をしています。つとめて、事実を裏付ける記録写真などを添えたいと思いますが、状況のみの事例紹介もあることをご了承ください。
1週間がやま、一命を散り止めても植物人間になる可能性が高いと言われたNさん。あれから13年。重度の脳挫傷から見事復帰した現在、何の後遺症もないさわやかな笑顔がESPの「ま心」パワーの深淵さを物語る。
事故翌日の8月19日、地元紙に事故の様子が掲載された。
2004年(平成16年)8月18日午後5時25分頃、米子市内の国道181号線にある信号のない交差点で、自転車で横断中のNさん(友の会員)が、左折してきた軽トラックにはねられた。
Nさんは頭などを強く打ち意識不明の重体となった。両耳から出血し重度の脳挫傷だった。翌19日の朝、新聞、テレビ等で報道されわたしたちもこの事実を知りました。指導所にも心配して彼女の友人が何人も電話をしてこられました。また、友人の友の会員さんが看護師をしている娘さんに、「指導所に行ってみなさい!」と言ってくださったそうである。
娘さんはその日の午前中に泣きながら指導所にやってこられました。「おかあさんが・・おかあさんが・・もうだめなんです!」と涙ながらに何度もおっしゃいました。私は「世間では、医学的にはダメかもしれないけど亡くなったわけではないのだから絶対に諦めてはダメ!。応援させてもらうので一緒に頑張りましょう!このシールをベッドに貼ってあげなさい」と言ってワンダーシールをプレゼントしました。
そんなにESPを活用されていた娘さんではありませんでしたが、その娘さんの素直な行動とお母さんへの思いがESPの『ま心』と交流したのだと思います。絶体絶命の状況からまずは奇跡的に一命をとりとめることができました。
ここから長いリハビリと奇跡の回復劇が始まりました。1カ月以上経過し、鳥取医大病院にお見舞いに行きました。病室の入り口にあるベッドにちょこんと座っていたNさんに一言お声掛けした途端、挨拶もなく一方的に話される様子にスグ何かおかしいと感じました。表面上はお話ができるのですが、何も記憶に残っていませんでした。その後、3回程度医大から外出で指導所に来られましたが、それさえも一切記憶に残っていませんでした。顔の表情も無表情のままでした。
≪変化のきざし≫
医大での治療が終わり、記憶がはっきりしないままリハビリテーション病院へ転院となりました。ある日、リハ病院から娘さんと一緒に車で指導所に来る途中車の中で、思い通りにならないもどかしさからか大げんかになり二人とも目頭を真っ赤にして来られました。
指導所で娘さんにエスパーDHAをお母さんに飲ませてあげることを奨めました。その次に来られた時の顔つきや記憶の変化に驚きました。確実に記憶が定着し始めたのです!
お化粧もでき、髪型もすっきりとし以前のようにおしゃれな服装で来られるようになりました。日に日に健康を取り戻し、あれから13年。写真でもお分かりのように、何の後遺症もなく以前よりよくしゃべられるくらいに元気になられました。難事が大きかった分、より温かい家族愛と絆にたどり着いた素晴らしい奇跡体験でした。