ESP器具のルーツ(由来)

ESP指導テープについて (1992年3月10日号 ま心新聞より抜粋)

ESP指導テープ

●ルーツ(由来)

 昭和52年4月その頃は郷里佐賀で念力治療のみ専念して居た、或る日の昼頃近く、治療中電話のベルで受話器を握った中年の女性の声のよう「腕が痛く手が全く上に上がらない、治してもらえるでしょうか」治せますとは言えない。

 一瞬、不思議な心境に走りかけた途端、握っていた受話器を下に、思う間もなく右手の掌を前に突き出し「アー」と唸る様な声を出している。5秒位した頃、受話器の中の声で先生手が軽く上にあがりましたという。

 驚嘆、感激しその頃は毎月始め1日から5日まで大阪に出張施療をしていたので、早速身体の痛みある人は勿論、いろいろの症状に応用した。1分内外の送念ですべての人の病苦、症状が変化したのである。
 

 1分間の電話送念で病気の苦しさから解放された、病院に通う必要もなく病気が快くなる、これ程の有難い果報が世界の何処にあるだろうか、その大きな喜びは誰云うとなく大阪の読売テレビに伝わった。

 昭和52年12月、同テレビ局のディレクターとカメラマンが佐賀の目達原に居る私の所に取材に来られた。今まで苦しかった私は俄然青年の若き情熱が彷彿と嬉しくて堪らなかった、たちまち読売テレビ出演が決定した。
昭和53年1月25日午後2時から3時までのワイドショーの生番組。テーマは「電話で痛みを治す不思議なこと」会場は大阪・千里山の「よみうり文化ホール」であった、会場は500人余りの人が集まっていた。

 話し相手は役は笑福亭鶴瓶さんで会場外から電話を受け送念した。受けた本人から直ちに返事が来た。会場の人の驚きと反響は凄かった。これは私も予期したことだった。電話で病気を治すのだから当然だ。
 出演が終わり翌日家に着くと電話は昨日3時から鳴りっ放しで大変なことだと家族は云う。 
それから連日24時間電話のベルが止まったことはない。朝5時から深夜1時まで最大限の電話送念治療の奮斗をした。2ヶ月経った疲れはない、三度の食事もゆっくり出来ず、入浴も忙しい。有難く嬉しい毎日であったが、この日常の状態が続いたらどうなるだろうと自分の身体の自信に動揺が来た。

 
 その一瞬のひらめきが、それはこの念力の腹の底から湧き出る声をそのままカセットテープに入力したらとの思いが来た。直ちに実行した。2分ほど私は息が続くので2分間の念力の声のテープであった。
 このカセットテープを20本つくり、特に身体の痛みの激しいリューマチ、腰痛、足痛、特に症状の悪い人に郵送した。

 カセットテープの説明は出来ないので勿論証明書は入れられない。同封したのはこのテープを10日位1日1回でも2回でもよいから聞いてください。もし、痛みに効果が出たら12,000円同封の郵便振込用紙に送金してもらいたい。12,000円という数字はどこから来たのか、それはこのカセットテープを売ったら天罰が恐ろしかったから1ヶ月1,000円のお礼で毎月お願い出来ないので1年間分まとめての金額であった。

 20人にこのカセットテープを送ったがこのお礼のお金が送られて来るか、来ないのか不安の気持ちは全く去来しなかった。それより不思議なほど安心感の境地になった。送ってから1ヶ月近くになったら1人2人金を送って来た嬉しい日が続いた。2ヶ月した頃送った人の20人、全部の人からお礼が届いた。
送られたカセットテープには何の使用説明書もない、異様な私の唸り声だけである。


 送った20人に全部に効果があったのである。それからの私の感激と感謝の絶頂の日が続いた。1人1本でも返品があったら今日の私は無かったと思う。

 これがESP指導テープ出現のルーツであります。